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【支援先団体インタビュー】第6 NPO法人聴覚障害教育支援大塚クラブ

「NPO法人聴覚障害教育支援大塚クラブ」は聴覚障害のある子どもたちの学校外活動や家庭支援を中心に生活環境を改善し、社会性や自立心を養うことに取り組んでいる団体です。今回は東京都立大塚ろう学校で、事務局長の高山嘉通さんにお話を伺いました。


(左側から)FIT2016コムスメンバー 島みちこ、NPO法人大塚クラブ東京都立ろう学校PTA連合会会長の高山嘉通さんとFIT2015Co-Chairの松方るみ

FIT:大塚クラブを立ち上げた経緯を教えてください。
高山:聴覚障害をもつ私自身の娘が1歳の時、色々病院を巡って最終的にこの大塚ろう学校の門を叩いたのが始まりでした。自営業だったので普通のサラリーマンより自由があり、学校に入りびたり、PTA役員を経て会長となりました。
聴覚障害児が通うろう学校は普通の学校に比べ学力が2-3年遅れているのが当たり前と言われていたのです。補聴器性能の向上と進路の多様化もあって、親御さんによる「ろう学校離れ」が深刻でした。娘が入学した時はたった一人だけの学級でした。そこで「子ども達のために何かしよう」と思ったのが大塚クラブを作るきっかけでした。
支援に関わる人は1) 将来、ろう学校の先生を目指す、専門性を持っている学生や先生、2) 専門性はないが見守りや日々のお手伝いをする地域のボランティア、そして3) 私のような聴覚障害の子どもを持つ保護者がいます。

FIT:具体的にはどんな風に活動をはじめられたのでしょうか。
高山:勉強の遅れをどう補うか、当時の仲間で話し合いました。まず、ろう学校に聴覚障害の先生は少なく、コミュニケーションの質と量が乏しいことに気が付いたのです。ろう学校では今は手話を使いますが昔は使われておらず、声を出させていました。音は何も入ってこないのに。
声の訓練も必要ですがそれよりコミュニケーション能力を養わないと何も伝えられない。そこで手話も入れ始め、既に社会に出ている聴覚障害者に協力頂いて、ロールモデルとして勉強というよりは一緒に遊んでもらうことをしました。そうすると子どもたちも将来が見えてくる。コミュニケーションもできるようになりました。そこからスタートし、ことばの種となる知的好奇心を刺激するようなことも始めました。


FIT:当時のご自身についても教えてください。
高山:当時私はイベント制作会社でツアーマネージャーをやる兼業の身でした。半年は休みで、半年は日本中を回っているような生活でしたので、このままでは大塚クラブのことができないと思い、大塚クラブを法人化する時にその仕事を辞めました。学校の近くに事務所兼自宅を借りて、それから家族で大塚クラブにどっぷりでした。娘の上には兄がいますが、大塚クラブでの北海道キャンプなどのイベントでは撮影を担当させたりしていました。今は私より手話が上手です。

FIT:大塚クラブという名前の由来を教えてください。
高山:大塚クラブの前身は大塚ろう学校PTAですので、名前は「大塚ろう学校」という学校名=地名にちなんでいます。「大塚」は聴覚障害者の中では有名なのです。PTAでの活動に限界を感じはじめた頃、補助金を頂くには法人化したほうが良いということで一念発起してNPOにしようと決め、私も含め「大塚」出身者がいたこともあり、名前は残すことにしました。

FIT:2005年の設立後、大きく変わったことはなんでしょうか。
高山:一番は法人化ですね。法人化するきっかけは平成16年から3カ年、放課後や週末等における様々な体験活動や地域住民との交流活動等を支援すると発表した文部科学省の「地域子ども教室推進事業」の実施でした。
それまでは年間予算15万円程、48人のPTA有志の集まりで始まった活動ですが、法人化することで、17年には380万円、翌年は510万円の補助金を受けることができました。その2年で人脈、講師、備品、会費のオンライン決済化などが進みました。他にも次のプログラムやそのための研究等に使用することができました。そのおかげで子どもの数、親の意識、取り組む先生の意識が変わり、48人だった子どもの数が現在170人まで増えました。

FIT:聴覚障害の子の就職について教えてください。
高山:みんなが感じるより障害者雇用は景気が良いです。雇用均等法もあるので好景気なのですが、残念ながら離職率も50%と高いです。仕事はメールや筆談でもできますが、何気ない日常会話など、同僚とのコミュニケーションが問題です。
職種が何でも良いのであれば聴覚障害者の仕事はどこにでもあります。が、私の娘のように夢を抱いていると、なかなか難しいですね。

FIT: NPOを立ち上げて一番大変だったことを教えてください。また、活動を続けている原動力は何でしょうか。
高山:事務局長として、団体の調整、段取り、物を揃えたり、資金繰りを担当していますので、申請した補助金が取れたりすると「やった!」と思いますね。ただ、その経験を重ねてみると、私たちが訴えたいことと、申請先が期待することは違うということも感じました。「社会に訴えるには」どうしたら良いのかと色々と勉強になりました。
大変だったことはあまり感じたことがないですね。現在、主だったメンバーは7人。2人が元校長先生、2人が大学教授、2人が保護者で、後は私。校長先生は現役先生や子どもを動かす。大学教授は大学生を動かすと共に専門的アドバイスを。保護者はお母さん方が中心に活動する。私は述べたように段取りと資金繰り担当。それぞれの得意分野で活動しています。

FIT:学校等では校長の意見が強そうな気がしますが実際はどうでしょうか?
高山:校長が変われば全て変わってしまう事もあるのですが、校長も含めて人が変わっても変わらないようにと、大塚クラブが支援を行っています。大塚クラブ発足当時の校長が手話を取り入れる事を決めたのは革新的なことでした。今は三代目の校長ですが、その校長が来た時には既に手話を交えたトータルコミュニティと大塚クラブがあったことになります。大塚クラブの活動で生徒がまた増え、生徒が増えれば先生も増える。進度別指導とか、個別指導とかもできるようになりました。


FIT:最後にFITチャリティ・ランに参加する方々をはじめ、皆さんにメッセージをお願いします。
高山:FITの寄付金のおかげで今までやりたかったが出来なかったことへの投資することができました。大塚クラブのスタンスは当初も今も変わっていません。ありがとうございました。

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