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特定非営利活動法人日本ファーストエイドソサェティ

2018年に支援先団体として選ばれた特定非営利活動法人ファーストエイドソサェティは、救急法の普及、災害支援を軸に、主に子どもの救急法について普及活動を行っています。代表の岡野谷 純さんにお話しを伺いました


FIT:JFASさんはどんな団体でしょうか?
岡野谷:1993年に活動をスタートした団体で、2000年にNPO法人を設立しました。活動は二つの柱で成り立っています。一つ目は、自分や家族の身は自分たちで守ろうという目的のもと、応急手当を学び、広めることです。二つ目は、災害支援と、災害を支援する人の支援です。応急手当や支援方法を伝えています。

NPO法人として、応急手当てを学び広める活動も被災地での支援活動も、会員の皆さんが参加しています。応急手当を教えるには、既存の蘇生法インストラクターの資格を持っているか、日本ファーストエイドソサイエティの救命法の資格を持っていることが条件になり、彼らはインストラクター会員として全国で活動しています。インストラクターではなくても、活動会員は、イベントがあったときの救護班としてお手伝をしたり、自動車レースなどの公認審判員などをしたりしています。マラソン大会のレスキューや子どもたちのイベントの付き添いなども含まれます。

災害支援については、国際基準の研修をし、広める活動をしています。実際に被災地に赴き支援活動をすることもあります。人間は誰しも助け方を学ぶと実際に活動したくなるものです。ただ、現地の状況や安全性、災害支援の知識がないまま現場に行くと大変危険です。そのため、活動した皆さんが自宅に帰ってからも社会に戻ってからもストレスを溜め込まないように事前にトレーニングをするのが私たちの大きな仕事と考えています。

FIT:JFASの救急法について、他とは異なる特徴はありますか。
岡野谷:救命手当を学んだあと、率先して実行できる方を私たちは求めています。一般的に救命手当講習では、人形を使っている訓練をするところが大半ですが、私たちはより実際の状況について再現性を高めるために多くの練習を人間同士で実施します。人に触れることは現実の現場に即した方法であり、私たちJFASの講習が好評を得ている理由でもあります。

FIT:団体立ち上げに至った経緯を教えてください。
岡野谷:1990年頃に、ちょうど子どもが出来たのをきっかけに子どもたちの救急法を学びたいと思いました。それまで大人の救急法については消防署など、学ぶところは沢山ありました。ただ子ども向けはあまりなかったのです。それでも子どもの救急法を学ぼうと消防署に行きましたが、大人用の大きな人形が出てきて、それを赤ちゃんだと思って練習しましょう、と言われました。そんなの容易ではないですよね。1990年当時、子ども達のための救急法という概念がそもそもなかったのです。

当時住んでいた家の近くに米軍基地があり、基地の中から「子どもの救急法を教えます」、という放送が頻繁に聞こえました。当然、日本にも救急法があると思っていたら、そうではなかったのです。どこで習えるのかと実際に基地の中の人にきいたら、「アメリカであれば当然どこでも学べる」と言われました。医学の最先端はアメリカだったので、一番近いアメリカであるグアムに行き、講習を受け、ベビーの人形を買ってきました。同世代の親や保育士たちに「赤ちゃんの救命法を学ばない?」と話したところ、皆がやってみたいと声を上げ、では学び広めて行こうというのが活動の始まりです。

FIT: 救急法とはどのようなものでしょうか。
岡野谷:本来、救急法とは人々がケガをしないようにする予防法を含みます。例えばスマホを見ながら交差点を渡っている人がいて、「危ない!」と声をかけた時、すでに事故は起こっています。「危ないかもしれない」と危険に気づき、声をかけて危険を知らせることも大切な救急法なのです。

応急手当の方法を学ぶと、交通事故や災害を見かけると助けてあげたいという気持ちが高まります。しかし、一般社会と違って緊急の現場には大きなリスクがあります。私たちの講習では、そうした緊急現場で上手く手当てをする方法にフォーカスをあてています。

災害支援に行くのであれば、「惨事ストレス(災害地で支援をした人のストレス)」について事前に知っておくことも重要です。被災地でけがや病気をしている人を助けると、自宅に戻ってから、自分はこんな贅沢をしていいのかと考えてしまうことがあります。例えば、災害現場でボランティアをした大学生の中には、被災地では過酷な生活をしている人達がいるのだから自分は遊ぶことなんて許されない、という発想をし、とても悩んでしまうこともあるのです。

そのような感情はプロフェッショナルにも起こりうることです。例えばぐったりとした赤ちゃんを見つけた消防士は、その子どもが自分の子どもであるかのような錯覚に陥ることがあります。惨事ストレスの存在を知っていれば、そうした発想や感覚はストレスからきているものだと分かりますが、惨事ストレスについて知らない場合には、みんなは普通なのに自分だけ、なぜこんなにつらいのかと悩んでしまうことが良くあります。当時の状況が突然思いだされ、涙が出てきてしまうことがあります。

つまり、そういったケースは普通にありますよ、ということを事前に伝えておくことが大切なのです。惨事ストレスについて事前に認識できていれば、ストレスを和らげる措置を講ずることができます。
阪神淡路大震災当時、この概念は日本では珍しい考えでした。今では心理学や医学面からも研究が進んでいることです。現在、現在、私たちは多くの災害の際に、支援者の安全を守るための安全コーディネーターとしてのサポートを提供するよう求められています。

FIT: FITの費用はどのように使われていますか。
岡野谷:東京都内で講習をやるときには、講習費以外のお金はそれほど掛かりません。しかし地方から参加される人は、往復の交通費、もし子どもがいる場合にはシッター費用なども掛かってしまいます。救急法を学ぶために都内へ行きたいが、コストの関係で受けたくても受けられない人が沢山います。我々にできることには限度があります。受益者負担となってしまっている部分を寄付で賄うことができれば、関東地方のどこにいても同じ質の講習が受けられるという仕組みが作れるようになります。

FIT: 今までであった喜ばしいエピソードがあれば教えて下さい。
岡野谷:幼児のいる家族のための支援をしています。赤ちゃん一次避難プロジェクトという名前です。東日本大震災の際に、当時私たちは避難所に行って、赤ちゃんのいる家族を新潟の小川町という温泉のあるところに連れていきました。そうすると、じんましんだらけの赤ちゃんが、お風呂に入ると翌朝にはつるつると元気になりました。そういった、変化があるのは嬉しいですよね。

東日本大震災の際、乳幼児を抱える家族を支援しました。「赤ちゃん一時避難プロジェクト」と呼んでいます。当時、避難所にはびしょびしょに濡れたままの服を着ていた赤ちゃんがいました。着替えの無いところで、濡れたままの同じ服を着ているのです。赤ちゃんは本来、毎日沐浴が必要なのに、替えの服もミルクもなく、市販のジュースをあげているような状況でした。心臓と脳に少しでも温かい血液を与えるために、手足はとても冷たくなっていました。そんな状況を目の当たりにした私たちは、たくさんの避難所を回り、多くの家族を新潟の湯沢町という、温泉で有名な町に連れて行きました。赤ちゃん達は身体中じんましんでいっぱいでしたが、温泉にゆっくり浸かった後、朝には再び肌が柔らかくなりました。そんな変化を見られるのはとても嬉しいことです。このプロジェクトは、別の災害に対しても現在進行中です。

また、実際に講習を受けた方からのフィードバックがもらえると嬉しいです。講習の2年後には再訓練を開催します。そのタイミングで、受講生に「これまでの間どんな救急をしてきましたか」と質問してみます。その際、ほとんどの皆さんが「ありません」と答えるのですが、「バンドエイドを一枚貼ったこともでもいいですよ」と付け加えると、少しずつ答が出てきます。「子どもが食べたものをつまらしたので、すぐに吐き出させた。」と言った後、彼らは「でも、大した事ではないですよね」と言います。どう思いますか? 普通に考えればそれはすごいことですよね。なぜならば吐き出させなかったら、子どもは亡くなっていたかもしれないのですから。皆さんの話を聞いた後で、全員でお互いに感謝の気持ちで拍手をします。再講習に来てくださる皆さんからこうした具体的な話をきける時は、この活動をやっていて本当に良かったと思える瞬間でもあります。

FIT: 今後の展望はありますか
岡野谷:なかなかまだ知られていない活動などで日常の中にあるのでそれがあたりまえにある環境にあればいいのにとは思います。そういった仕組みを作りたいなと思います。

災害支援ということばと内容がもっと広まってくれればいいなと思います。本来は学校教育の場でこのようなことはなされるべきですが、残念ながら、現状それは難しいというというところがあります。それを教えるスキルのある人がいないという現実ですね。

教員は残念ながらそれをするほどの時間的な余裕がないのが今の学校教育の現実です。カリキュラムを新しく増やしても教える人がいません。私立の学校の中では、先生がJFAの講座を学んでくれているところも現にありますが、もう少し学校教育の中でうまく取り入れてもらえるようになればいいなと思います。

今では自動車免許を取得するためにAEDの使い方も含めた応急手当の講座がありますが、当時はそれがありませんでした。国土交通省が初めて動いたのです。文部科学省が動いてたとえば先生も試験を受けるなどそういった制度が今後整えばいいなと思います。

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